三本足の猫もち子と私の後悔とペットロス

私は20代の頃「もち子」というサビ猫を飼っていました。
もち子は近くの工場のネズミ捕りにかかり、とりもち(ネズミホイホイのベタベタのあれです)だらけのまま道路に捨てられ自転車か車か何で轢かれて前足の手首から先が潰れていた所を私に保護されました。

動物病院に連れて行き、無くなった前脚の処置はして頂きましたがベタベタは取れず…
ベビーパウダーをつけてはちまちまと取り半月ほど経った頃ようやく子猫らしいふわふわの毛が徐々に復活しました。

もち子は鈴を転がしたような声で鳴く可愛らしいメス猫でした。
三本足で器用にちょこちょこと歩き、人間が好きなので誰かが来ると器用によじ登りゴロゴロと喉を鳴らしていました。
そしてとても優しい子でした。

私が母猫を亡くした子猫を保護した時も、子猫を懸命に舐め、寝る時も子猫のケージの近くでゴロゴロと喉を鳴らして「大丈夫だよ」と言っているかのように目を細める子でした。

そんな穏やかな日々が数年続き、私は数日間家を空けることになり、もち子(子猫は残念ながら亡くなってしまいました。)を実家に預けました。

もち子は穏やかで臆病な子でした。
私と住んでいた頃も決して外には出ず家の中の定位置で私の帰りを待っていました。
早く帰ってもち子を迎えに行ってあげたいと思っていた矢先、母から電話がありました。

もち子が家を飛び出し車に轢かれたと。

当時家にいた父いわく玄関をスッと出て外に走って行ったそうです。
もしかしたら私を探していたのかも、私に似た人が外にいたのかも、そんな思いをぐるぐると巡らせもち子に会いにいきました。

もち子は眠っているかのように目を閉じ動かなくなっていました。

母の知っている動物霊園でもち子を火葬し、お骨を拾いました。
白くて小さくて綺麗な骨は現実味を感じさせず、私はまだ心のどこかでもち子を探していました。

あれから10年以上経ちますが今もふとした時に、ここにもち子がいたら、もち子が生きていたらと思ってしまいます。

この後悔と喪失感は私が死ぬ時まで一生持ち続ける事になると思います。

もち子への感情はドロドロとした物から徐々にではありますがキラキラとした思い出に変わりつつあります。
もち子の身体は無くなりましたがもち子への気持ちや思い出は消えません。

私がこの仕事に就いたのはもち子への喪失感を浄化したい気持ちもありました。
そして私のように心に後悔と自責の念を持っているご家族様に寄り添いたいと思い日々従事しております。

画像は私のスマホの待ち受けにしているもち子です。

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